ペルソナ3をクリアした後だから改めて死と生について考えてみる
こんにちは。
昨日、ペルソナ3をクリアしました。
といってもポーダブル版の女性主人公のほうですが。
PS2のほうはまだ夏休みに囚われたままです。キタローは永遠に部活の合宿中。
女性主人公(通称:ハム子)をプレイしたのにはいろいろ思惑がありまして、まずひとつはSEESの仲間のコミュが増えたのでそのキャラクターを深く掘り下げていけるということ。
もうひとつはゲーム内の音楽。
まあこの話は次回またゆっくり書くとして。
ペルソナ3をプレイして毎回考えさせられるのは命の在り方について。
私は現在アラサーですが死生観や生き方を考えさせられるきっかけになりました。
最近有名人が亡くなる話が多くて心が痛いです。
特別大好きだったわけではないんですよ、それでも人が亡くなるっていうのはなんとも言えない気持ちになるわけで。(こういうのって正義を振りかざす偽善者になるのかな。)
自殺を考える方は繊細な方が多いと、私は思います。
私のとある友人も何度も自殺未遂をした過去がありますがとても繊細で心が綺麗な子です。
優しいんですよ。自分以外には。
よく「死ぬくらいなら助けを求めればよかった」っていう人がいますがそんなことができたらとっくにしてると思います。
「周りの人が異変に気付ければ…」というのも難しい話で、亡くなる直前までそんな素振り見せない人のほうが多いと思います。
大切な人を置いて行ってでも…というより大切な人すら見えない深い絶望の中にいた。
そして自らの『死』を選んだ。
そう考えるだけで苦しくなる。
私は『死』を選ぶことは悪いことじゃないと思っています。
命あるものがやがてたどり着く結末を一足先に選んでしまったというだけだから。
置いていかれた人の気持ちを考えろとも思いません。
むしろ『死』を選んだ人の気持ちに寄り添ってあげられなかった自分を恨むと思います。
…私は、生きているうちは前向きになろうと決めていて。
昔はそれこそ死にたいと思ったこともありましたけど家族の涙を見たらそんなふうに思えなくなりました。
家族の思いをきちんと理解して自分を責めることをやめた。
それだけで自分の生きる道が少し明るくなりました。
それに死にたいって思えるってことはまだ生きたいってことだから。
自分が満足するまで絶対に死なない。